北京五輪開幕式、本当に華やかで、美しくて、胸を打つものでした。
開幕式をこうしてみることは実は今まであまりなかったことだけれど、今回はアジアということで時差もあまり関係なく、しかも翌日のことを気にしなくても良い金曜の夜。ゆっくり味わうことが出来ました。
演出・張 芸謀らしい色彩の鮮やかさ、そして映像の多用&人海戦術のスペクタクル。
この人は映画以上にリアルでこんな爆発的な芸術を生み出すことが出来るんだ、と圧倒されました。
色彩というと、「英雄(HERO)」とか「十面埋伏(LOVERS)」のほうが多色を使った鮮やかなものだっただろうけど、私はどちらかというと、昔の土臭いチャン・イーモウ映画が好きで、「紅いコーリャン」や「菊豆」などの残酷なまでに美しい赤の感覚は、これまでもこれからも記憶に残り続けていくと思う。
西洋文化とは違い、やはり東洋の文化は共感性が強いのだけど、同時に異国性も感じる。
四大文明の生地である事を表し、人力の大きさや歴史の深さを思わせながら、デジタルや巨大装置を使い発展への気合も見せ付けた。
美しくて、素晴らしかったけれど、直前に起きたさまざまな問題は、環境や人の心の不安を忘れるなといわんばかりの出来事で、ここでこんなにもお金を使って良いのだろうか・・・楽しい、喜ばしいことばかりスポットを当てて良いのか・・・。あの領土の元で、このために泣いた人もいるんだと複雑な思いが生まれたのはすべて終わった後のこと。
こんなときに、自分の人としての弱さを思う。
何かが目の前にあるときは、やはりそのことばかりに気が行ってしまう。
そして、グルジアとロシアの火種が炸裂した。
あの開幕の光の下、両国の選手は何を祈ったのだろう。
花火の光の下、沢山の希望の笑顔が輝いた下で、砲弾の光にさらされた人がいるなんて。
だけどこれが現実。世界のはかなさは全部陽の下にさらされている事実。
ラン・ランの美しいピアノの音色に寄り添ったあの少女の無邪気さ。
驚くほど統制の取れた動きのもとで、ついうれしくて笑ってしまう、そんな一人ひとりの表情。
これもまた、人の希望の真実だしね。
聖火の最終ランナーは、体操のスーパースターで起業し大成功した李寧だった。
かれは国のヒーローをあの場でも演じて見せた。伝説の物語のように空中で走って聖火を灯した。
李寧は思ったより引き締まった体をしていた。彼もこのために準備したんだろうな。
誰にも知られぬ影で・・・。いまや大企業の会長サンなのに。
明るい希望や美しいものを信じたい。
だけどどうにもならないむなしさみたいなものも胸に錘として残ってしまっている。
私自身は、今あるものの大切さを忘れずにいないと・・・そんなことを夢の中でさえ思った夜だった。